生きる意味を真に知る者は誰も居ない

 

今死んでも、生き長らえて死んでも、結局は死ぬことに変わりない。

なんで希望なんて持っていたんだろう。

結局は何も無かった。

ただ辛いだけだった。

 

そっと目を閉じた。

・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

小さい頃の記憶はほとんどない。

いつの頃だったのだろうか?

記憶もないほど幼い頃は、祖母に育てられていた。

産み落とされてすぐからだったのだろうか、それとも途中からだったのだろうか?

よく分からないけど、私がおばぁちゃん大好きに育っていたので、ずっと一緒だったのだろう。

 

 

物心つく頃には両親と暮らし始めていた。

両親と2人の姉がいた。

 

その頃、僕には幼馴染の女の子がいた。

腕に大きなホクロがあったことくらいしか覚えてない。

 

 

とある日、隣に住む幼馴染の子と遊ぼうと、家の前で名前を呼んだ。

いつもならすぐに出て来るはずなのに、今日はとっても静かだった。

呼んでも、呼んでも、返事もないし、出ても来ない。

今日はいないのかな?

 

翌日も、翌々日も、会えないのに、ずっと名前を呼び続けた。

 

とある日のことだった。

見知らぬお兄さんが不機嫌そうに出てきて言った。

「そんな子は居ないから、もう来んな!」

その後ろから、お姉さんが顔を覗かせた。

「ちょっと、そんな言い方したら、可哀想でしょ」

「ぼく、多分その子は、前にここに住んでた子なのかな?引越ししちゃったから、もうここには居ないよ」

幼かった僕にはよく分からなく、首を傾げていいると

「ここにはもう居ないから、呼んでも会えないの。だからもう来ちゃダメだよ」

 

あまり良く分からなかったけど、来ちゃいけないことだけは理解したのか、

その日を境に、呼ぶのをやめていた。

 

 

 

妹が産まれた。

その頃はまだ、普通の家族だったのだろう。

 

幼稚園に通い始めてすぐの頃だった。

母は夜の仕事があり、朝からずっと寝ているから幼稚園に一人で行けず、毎日家で妹と遊んでいた。

 

ごく稀に、母が朝起きて、僕を幼稚園に連れて行った。

幼稚園では、いつも一人ぼっちだった。

 

 

 

なぜか家族団欒というものが、全く記憶に無い。

親は妹に構い、姉は2人で楽しみ。

僕は家でも一人だったのだろう。

 

 

外に出れば、悪いことばかりをしていたのだ。

近所に住む男の子と、遊びに出たと思えば、お金を払っても無いアイスを食べて見たり

人の家のベランダに干してあった洗濯物を取ってみたり

動物をいじめたり

自分の存在を見て欲しかっただけなのか、

善悪の判断ができていなかったのか、

しかしながら、問題児だったことには変わりない。

 

 

その都度、父親には厳しい体罰を受けていた。

なぜそんな事をしたのか、今でも良く分からないし、断片的に体罰を受けた記憶だけが残っている

 

 

 

 

 

 

小学生になった頃には、深刻なまでにコミュ障を患っていたのだろう。

友達はおろか、自己主張だけでケンカになることばかりで、よく怒られていたように覚えている。

 

初めてできた友人は、指が無かった。

彼もまた一人ぼっちだったのだろう。

その頃の僕は、純粋に善も悪も無かった。

 

 

何が良いことなのか、道徳的なものが全く抜け落ちていたのだろう。

猫を投げ飛ばしたり、レンジに入れたりも平気でするような子供だった。

体罰を受けるたびに、価値観や良い悪いの観点が壊れてしまっていた。

 

クリスマスの日、近所の家で子供達だけでパーティをしていた。

上は中学生くらいの子達で、お酒を飲んでいたそうだ。

翌日、急性アルコール中毒で、1人が亡くなった。

 

あまり覚えていないが、長女は深く関わりがあったのだろうか、

その亡くなった方の妹に、死神だと言われていたのだけが記憶に残る。

 

その頃、次女の姉や妹も同じくおかしくなっていた。

妹はネスカフェのインスタントコーヒーの空きビンに、ゴキブリを集めていたし

姉はどこかで拾っていた動物の死骸をアパートの階段下に埋めていた。

 

 

 

 

 

 

 

小3年の頃、両親は離婚して

僕は姉2人と共に、母親に連れられて家を出た。

 

 

 

その頃の僕は、呼吸をするように近くのスーパーで万引きしていた。

とある日、クラスメイトの子が捕まり、なぜか僕の家に店員を連れて来たことがあった。

「この子に教わりました」

と、彼は僕を指差して言ったのを覚えている。

 

その後、しばらくスーパーの事務所に監禁されていた。

どれくらい時間が経ったかは分からないが、母が迎えにきたことだけは覚えている。

 

家に帰った後だった

母だったか、姉だったかが

「もっと上手くやれ」

「バレるからダメだ」

と言っていたように記憶している。

 

 

 

 

 

 

小学4年になると同時に、母に連れられて家を引っ越した。

見知らぬおじさんと、おばあさんの住む、一戸建ての家だ。

「今日からパパと呼びなさい」

そう言われ、僕は見知らぬおじさんをパパと呼んだ。

 

 

学校は転校し、また一人ぼっちとなったが、

そぐに友達は出来た。

 

もともと仲良し4人組みたいな感じのグループに入った感じだった。

その日は休日で、昼ごろだっただろうか。

新しく出来た友達と、公園で缶蹴りをしていた。

初めてする遊びに、僕は興奮して必死になっていたのは確かだろう。

必死になって蹴った缶が、目の前をよちよち歩いていた小さな子のおでこに当たった。

大きな鳴き声で母親が気づき、すぐに病院に連れて行かれた。

井戸端会議をしていたママ友らしき人達に拘束され、僕らは公園から動けないでいた。

そこに、怪我をした子の父が駆けつけた

「どいつがやった!」

怒鳴り散らし、犯人が僕である事を知るや否や

火のついたタバコが目の前に飛んで来た

その後、何がおこったのか、あまりの恐怖で覚えていない。

 

事の顛末が終わり、

母とパパと僕は謝罪に行った。

女の子だったことと、おでこを数針縫ったこと。

跡が残るだろうと言うこと。

その辺の話だけは、今も心に刻み込まれている。

本当に申し訳ないことをしてしまった。

意図的に狙ってやったことではないが、罪を重く感じている。

 

家に帰って来てすぐのことだった。

「お前はゴキブリ以下のクズだ」

パパ激昂し、僕を怒鳴りつけた。

 

それ以降は、ことあるごとに言われ続けた。

「お前はクズだ」と

 

 

 

 

 

 

 

 

5年生になった時、クラス替えもあり、友達とは疎遠となった。

その時に高知から転校して来た男の子と仲良くなった。

しかしながら、友達と仲良くするずべも良くわかっていなかった。

物をあげれば喜んでくれる、だから仲良くなれる。

そんな方法が間違いなのも分からないほど、深刻に歪んでいた。

 

林間学校

楽しいはずの思い出が、何がきっかけだったか分からないが

僕は仲良くなったはずの、友達を一方的にボコボコにしてしまったのを覚えている。

 

その後、口もきかなくなり、そして転校してしまった。

今になって思うが、僕が原因だったのだろう。

中学の時に、一度再開したのも覚えているが、その時はまだ自分の愚かさに気づいてすらいなかった。

彼のことを傷つけ、心を歪めてしまったかもしれない、

そのことを土下座して謝らなくてはいけなかったこと気づいたのは、その後の事だ。

しかし、それ以降は会うことすら無かった。

 

 

阪神大震災に見舞われた。

早朝のことだ、なぜかハッと目が覚めて

ものの数秒後に大きく揺れ、僕はタンスの下敷きとなった。

一戸建ては倒壊することはなかったが、建屋が傾き

家の砂壁は割れ、階段は崩壊していた。

 

 

 

 

 

 

小学6年になった頃だろうか

パパの母親が亡くなった。

始めて葬儀に参列したが、何も感じなかった。

 

 

もう人格は壊れていたのだろう。

家では虐げられるだけの日々。

その頃には、パパの恐怖政治は始まっていた。

気にくわないことは、すべて痛みで制裁された。

何が理由か分からないが、母も同様に体罰を与えていた。

とあるひ、長女の背中を孫の手が折れるまで叩き続けた母の姿が、今にも思い出される。

 

 

 

長女は中学を卒業と同時に、家出をして消息を絶った。

後に警察が発見したのは2年近く経過してからだ。

長距離トラックの運ちゃんの家に居候していたのを発見されている。

発見後、特に帰ってくる訳でもなく、その同居は知らぬまに黙認されていたが。

 

 

僕は知らぬ間に、小学校校内ではキレたらヤバいやつと言われるようになっていた。

特に悪い事をしたわけではないが、危ない人物となっていたのは間違いないだろう。

人殺しの目をしている。そう言われていた。

その為、友人も極めて少なかった。

 

 

 

 

 

 

中学に入って、部活動とという唯一自分の目標を持てる舞台が出来た。

ただ直向きに部活動にのめり込んだ。

中学2年になった頃、早朝から家には来客があった。

スーツ姿の男性が数名、土足のまま家に上がり込み。

札をどんどんと貼っていく。

家のものを差し押さえられたのだ。

パジャマのまま制服と学校カバンを持たされ家を押し出される。

その後、どうやって学校に行ったのか覚えてないが、

しばらく友人の家で居候する事となったことは覚えている。

 

 

彼とは中学で知り合った。

金髪の色白で、ベルギーとフランスのハーフの父と、日本人の母の間で生まれ、日本で育った。

日本語しか話せない彼は、見た目のせいもありかなり目立っていた。

かく言う僕も、頭を剃って学校に登校するなどして、異常さで目立っていた。

スキンヘッドが校則違反なのを知らなかっただけなのだが、登校後早々に生徒指導室に呼び出されたのは言うまでもない。

そんな目立ち方をする二人は、知らぬ間に友となっていた。

 

 

彼の家で居候の間、おばあさんが本当に優しくて

優しくされる度に涙がこみ上げたのを今でも忘れられない。

 

 

 

 

新しい新居のアパートが見つかり、そこで4人暮らすこととなった。

しかし束の間の間だった。

 

何が原因か覚えていないが、パパは突然母に手をあげた。

それに反応して、僕はキレていた。

パパに飛びかかったが、ひ弱にも食卓の上に叩きつけられた。

必死に腕に噛み付くも、殴られた。

次女はその場を飛び出し、気がつけば自分も一緒に外にいた。

家に戻ると、散々な状況だった。

 

母は土下座してずっと謝っていた。

「ここに住みたいなら、土下座して謝れ」

「お願いだから、謝って」

母は泣いていた。

なぜそうしたのか分からないが、僕は土下座していた。

 

 

 

 

次女が高校を転校し県外に行くこととなった。

そして3人暮らしが始まったのだ。

パパは定年しており、常に家にいた。

母は昼も、夜も、毎日働きずめだった。

 

そんな時だった。

母の母(幼い僕を育ててくれた祖母)が亡くなった。

祖母の遺体の前で、ずっと泣いていたのを覚えている。

今まで、人の死に遭遇していたはずだったが、この時に初めて命の重みを知った。

 

 

 

 

中学3年生になったある日、僕は本当の絶望を知った。

何時だったろうか、本当に夜中の出来事だった。

何やら枕元で唸るような声で目が覚めた。

目を開けると、裸の母が

「ごめんね、ごめんね、ごめんね」

そう言いながら立っている。

「どうしたん?」と声を発する前に

手には包丁が握られているのに気づき

声が詰まって出なかった。

ああ、殺される。

直感的に死を予感した。

 

 

どうやってその場を凌いだのか、恐怖もあったし、必死だったし、よく思い出せない。

パパは隣の部屋で寝ていただけだったので、本当に良かった。

もう殺された後かと思っていたので、無事だったことに安堵して泣いた。

 

少し落ち着いてから、県外に行った次女に電話した。

なぜ電話したのか分からないけど、深刻な状況だった故に助けて欲しかった。

深夜だったが、姉は電話に出た。

 

 

起こった事を全て話すと

「またなの、出血は?」

実は2度目らしい

1度目は、小学3年の頃に出血事件として自殺未遂があったそうな。

全く覚えていない。

きっと、恐怖のあまり記憶に蓋がされた時期があるのだろうか、、、

思い返せば幼少期の記憶はほとんどない。

そして、次女は思いもがけない言葉を放った

「今、お父さんと住んでるんだけど、あんたもこっちに来ない?」

「え?県外に出たんじゃないの??」

「ああ、そっちのお父さんじゃなくて、実のお父さん」

「え???なに???」

ずっと父親だと思っていた人物は、実の父ではなかった。

妹にとっては、実の父ではあるのだが

僕には別に本当の父親がいたのだ。

言葉を失った。

 

 

 

 

 

 

中学3年の10月10日

忘れもしない、あれはパパの誕生日のことだ。

僕は本当の父親が迎えにきて、県外に引っ越すこととなったのだ。

 

 

 

 

 

 

後々の話になるが、母の父親が亡くなった時に。

一同が顔をあわせる場面があった。

私の父と、妹の父は、学生時代の大親友だったそうだ。

私の父は母に一目惚れし、すぐに結婚した。

しかし、父は若くして社長となり仕事が多忙を極めた

母が手料理を作って待っているが、なかなか帰れない。

せっかくの手料理が勿体無いと、父は大親友である彼に夕飯を代わりに食べて欲しいと頼んだと言う。

そして、大親友である男と、母は駆け落ち。

その頃、お腹には私が居たのだ。

 

 

次女が結婚し、家を出てから

父と私は、ほとんど会話も無かった。

唯一、心の支えとなったのが父が飼っていた猫だった。

 

猫が亡くなった時、心底泣いた。

悲しくて、涙が止まらなかった。

しばらく、感情が悲しみしかない程のショックだった。

 

 

 

私が20歳になるくらいの頃。

「再婚するから部屋を開けてくれ」

突然だったが、父から家を出ろと勧告を受けた。

一緒に過ごした6年だらずでは、何一つ家族として心を通わせることは無かった。

 

 

 

望まれぬ形で生を受け、

誰の愛情も感じぬままに育った。

 

 

親に振り回されるだけの人生は、何も得るものがなく。

ただ心が歪み、腐敗していた。

 

何も見いだせず、幸せも分からない。

何者でもない僕は、何者にもなれず。

ただ承認欲求の権化となっていた。

 

 

 

私も結局は、あの時の母と同じなのだな。

きっとたくさんの人を不幸にしてきたのだろう。

生まれてくるべきじゃ無かった。

心底、そう思った。

 

 

誰かに愛されたい。

自分だけを愛して欲しい。

 

そんな歪んだ想いは、どこにも届かず。

 

 

最後に思い知らされることになった。

「貴方は悪くない。育った環境が悪いだけ」

それは僕にとっては、死の宣告だった。

 

しかし、自分と言うものに、向き合うきっかけとなった。

立ち直るのに時間はかかったし、今更遅いとしか言いようがないが、

過去は変えれない以上は、今を生きるしかない。

 

現代では、アダルトチャイルドと呼ばれ、社会不適合者のようにひどい扱いを受ける方もいるようです。

自身では選びようもない人生の道。

 

人の痛みを知り、誰よりも優しい人であるはずです。

人生はまだ終わってないなら、その先の道を創造し豊かな人生を生きる。生きて欲しい。

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